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田中一村の展示を見に千葉市美術館へ。
生誕100年記念に当たる2〜3年前の展示を見そびれて、次回こそは‥と思っていました。
美術館の開館15周年記念の企画という事で、時代ごとに区切って約250点の作品の展示がされている充実の内容。
一村は50才から単身、奄美大島に渡り69才で亡くなるまで南国の自然を描き続けた日本画家です。
小さい内から南画(水墨画)を描いて神童と呼ばれ、18才で東京美術学校(現・東京芸大)に入学しますが、病気と経済的な理由で2ヵ月で退学。
その後30年間の千葉市の生活では展覧会の入賞とは縁が無く、中央画壇とは一線を画していたそうです。
南国の自然に魅せられて渡った奄美では紬の染色工として働いて、お金が貯まると絵に打ち込むという清貧の暮らしを貫き、無名のまま亡くなりました。
生涯を、絵を描く事だけに捧げた「孤高の画家」です。
試行錯誤の千葉時代の作品には、正当な花鳥画の流れを汲む物も。
それでも美しいだけでは無く、襖絵仕立ての「花と軍鶏(シャモ)」は思わず声が出るような凄みがありました。
奄美の自然を描いた物は色もタッチも独特ですが、やはり花鳥画を突き詰めて辿り着いた物で。
余白が無いところは従来の花鳥画とは違いますが、微細な所まで丁寧に描いてありました。
図案化されている所が好きなのか?
自分でもよくわかりませんが、とても惹きつけられます。
午後ゆっくりで行ったとは言え、閉館真際まで粘ってしまいました。
好きな展示の時は(なかなか動かなくなって)連れの方に迷惑をかけそうなので、必ず単独行動をすると決めています。
それにしても千葉駅は遠かったデス〜。
生誕100年記念に当たる2〜3年前の展示を見そびれて、次回こそは‥と思っていました。
美術館の開館15周年記念の企画という事で、時代ごとに区切って約250点の作品の展示がされている充実の内容。
一村は50才から単身、奄美大島に渡り69才で亡くなるまで南国の自然を描き続けた日本画家です。
小さい内から南画(水墨画)を描いて神童と呼ばれ、18才で東京美術学校(現・東京芸大)に入学しますが、病気と経済的な理由で2ヵ月で退学。
その後30年間の千葉市の生活では展覧会の入賞とは縁が無く、中央画壇とは一線を画していたそうです。
南国の自然に魅せられて渡った奄美では紬の染色工として働いて、お金が貯まると絵に打ち込むという清貧の暮らしを貫き、無名のまま亡くなりました。
生涯を、絵を描く事だけに捧げた「孤高の画家」です。
試行錯誤の千葉時代の作品には、正当な花鳥画の流れを汲む物も。
それでも美しいだけでは無く、襖絵仕立ての「花と軍鶏(シャモ)」は思わず声が出るような凄みがありました。
奄美の自然を描いた物は色もタッチも独特ですが、やはり花鳥画を突き詰めて辿り着いた物で。
余白が無いところは従来の花鳥画とは違いますが、微細な所まで丁寧に描いてありました。
図案化されている所が好きなのか?
自分でもよくわかりませんが、とても惹きつけられます。
午後ゆっくりで行ったとは言え、閉館真際まで粘ってしまいました。
好きな展示の時は(なかなか動かなくなって)連れの方に迷惑をかけそうなので、必ず単独行動をすると決めています。
それにしても千葉駅は遠かったデス〜。
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凄みがあります
私は、実物を見るのは今回が初めてです。
描写は精緻なのに、迫力を感じる「凄みのある絵」ですね。
構図も大胆ですが、色使いのセンスもスゴイ物がありますよね〜。
奄美の植物をモノクロに近い色合いで描いた作品群も、好きでした。
亡くなってから光が当たるとは‥凡人からすると、少し気の毒な気がしますが。
ご本人はそんな事とは全く関係無く、描きたい物を描きたいように描いていたのでしょうねぇ。
描写は精緻なのに、迫力を感じる「凄みのある絵」ですね。
構図も大胆ですが、色使いのセンスもスゴイ物がありますよね〜。
奄美の植物をモノクロに近い色合いで描いた作品群も、好きでした。
亡くなってから光が当たるとは‥凡人からすると、少し気の毒な気がしますが。
ご本人はそんな事とは全く関係無く、描きたい物を描きたいように描いていたのでしょうねぇ。
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